スタッフブログ!つむぎ内・外よもやま話

本能のまま

2013年07月30日  文責:川口

子どもを見ていると,自分もこんなんだったのか??
と思うことが,よくあります。

例えば,遊び。
雨でできた水たまりをバシャバシャと何十往復もして
実に楽しげです。
砂遊びも然り。
夢中になって,山をつくっては壊す,を
延々と繰り返しています。

幼児の遊びには,なかなか「飽き」がこないですね。
土や水,虫たちと戯れる姿は
まさに,本能の赴くまま,という感じで,
眺めていると,正直,感心すらします。
(と同時に,見ているだけで既に疲れている
自分の老化を思います)

そんな息子も,日々同じ遊びを続けているかというと
そうでもなく,ある程度のスパンでブームというのが
終わったり,入れ替わったりするようです。
基本的に外遊びが大好きなのですが,今はパズルに
はまっており,数日も見ないと,ピースをはめこむ
正確さやそのスピードに驚かされたりもします。

慣れて,上達して,飽きて,次に移る。
考えると,それぞれの過程がゆっくり進むというだけで,
大人もあまり変わらないのかもしれません。
(上達して→極める,へともっていかないといけないのでしょうが)

何か気になったら,後先考えず
本能に任せて飛び込みたい―
そんな衝動に駆られる今日この頃です。

傑作

2013年07月26日  文責:塩原

映画「風立ちぬ」が公開されましたね。
とてもたくさんの方が観にいかれたとニュースで報じられていました。

映画の公開に伴い、この映画のプロデューサーである鈴木敏夫さんの
インタビュー番組が放映されていました。

いろいろと興味深い話が満載でしたが、特に印象的だったのは
この映画を企画したときのエピソードでした。

最初鈴木さんが監督の宮崎駿さんにこのストーリーの映画化を提案した
とき、宮崎さんは怒ったのだそうです。
その理由は、「アニメはメルヘンであって、戦争とは相容れない」こと。

それに対し鈴木さんは、「だからこそ、アニメにすべきだ」と言ったそうです。
「苦しむときに、傑作は生まれる」から。

これを見事に乗り越えた宮崎さんも、鈴木さんのこの発想も、感服の連続です。
私はまだ、予告編しか観ていませんが、いつか必ず観たいと思います。

学生のまち

2013年07月23日  文責:川口

世間は夏休みに入ったようですが,
まだ朝夕の通勤時には学生さんを多く見かけます。
大学生にとっては,ちょうど前期の授業が終わった頃で
これからが休み前の関門,前期試験。
地下鉄では,ノートや参考書を片手に「やばい…」などと呟き
もがいている学生を目にします。

京都はよく「学生のまち」と言われます。
市内にある大学数は37校。(短期大学なども含む)
東京都に次いで,政令市の中では最多だそうです。
さらに統計を見ると,
京都市の人口1万人あたりの大学生数は949人。(2009年の統計)
つまり,人口のざっと1割は大学生ということになります。
これはもちろん全国一の数字だそうで,大いに納得しました。

5月,6月には,修学旅行で京都を訪れる
中高生の姿も目立ちます。
数日〜数年とスパンはまったく異なりますが,
京都での日々が良い思い出になればと思います。

豪雨の中の巡行

2013年07月20日  文責:塩原

祇園祭でにぎわう休日。突然豪雨がやってきました。
出かける用事があった私は、最強のレインポンチョ(雨合羽のようなもの)を
着用し、自転車に乗って出発しました。

天気が良ければ、祇園祭を楽しむお客さんがひしめきあい、自転車も押して
歩かなければいけなかったかと思います。

余りの豪雨のため、ほとんどの方が、軒下で雨宿りをしていました。
空いた道路をすいすいと自転車を走らせるうち、たくさんの視線を感じます。

雨宿りしている方々は、まあはっきり言って暇なので、視線が何か変わったもの、
つまり、こんな豪雨の中でもただ一人自転車で通行している私に向けられています。

その様子は、まるで沿道の観客と、巡行している山鉾のようです。

レインポンチョ姿巡行はさすがに恥ずかしいものがありました。

第一次父親ブーム

2013年07月16日  文責:川口

親馬鹿を承知で言うと,
一歳の息子の「とうちゃん熱」が,最近すごいです。

誇張するわけではないのですが,自分の立場が
「デザインあ」とご飯・おやつに次ぐ,三番手に
食い込もうとする勢いを感じます。

具体的言動に見られるところでは,
1.毎朝,半笑いで「とうちゃん!」と繰り返しながら起こしに来る
2.出勤後,私の持ち物をいちいち指しては「とうちゃん!」と言う
3.帰宅後,(本人が起きていれば)何度も絵本を読むようせがむ
4.就寝前,うつぶせになるよう指示し,その上でワイルドな体操をする
など。

今までは,妻がいれば自分は無視の対象。
急に脚光を浴びるような形となり,
芸能デビューしてチヤホヤされるというのは
こういった感覚なのかな,と思ったりもしました。(たぶん違います)

ここのところ,自分がしてきたことを振り返ると,

・クルマに乗せて二人きりで何度か実家へ行く
・「デザインあ」など,本人の好きな番組に出てくる人物の声真似をする

この二つが思い当たるところで,
異様な喜び方をしているところを見ると
これらが株を上げる要因になったようにも思います。

こうした父親ブーム的なものに関して
育児経験者らに訊くと,たいていは遠い目になり
そういう時期,あったなぁ…
などと呟くので,本人が醒めるまでは浸っておこうと思います。

地歴旅行

2013年07月12日  文責:塩原

高校生の頃、「地歴旅行」といって、おのおのテーマを決め、それを調べる旅に
出るという行事がありました。

行き先は京都と奈良。
私のグループの研究テーマは一休さんでした。

日中、調査したことを、夜発表します。
その中で一番印象的だったテーマは
「奈良、京都にある七不思議の解明」でした。

「なぜ、奈良の大仏殿には蜘蛛の巣がないのか?」という不思議の答えを住職さん
に伺ったそうです。すると、
「それは、みんなで毎日掃除をしているから。」
ということが判明したそうです。

あまりに当たり前な答えが面白すぎて、自分の研究したことよりも、このテーマ
が強く思い出として残っています。

風鈴の歴史

2013年07月09日  文責:川口

先週,行きつけの銭湯に風鈴が掛けられていました。
天井に据え付けられた扇風機の風を受け,
チリンチリンと心地よい音を響かせています。

今や夏の風物詩といった趣きの風鈴ですが,
日本には仏教の伝来とともに入ってきたため
元々は仏具という意味合いのものだったようです。

元来,中国では竹林に吊り下げて
風の向きや音の鳴り方で物事の吉凶を占う
占風鐸(せんふうたく)という道具があったそうですが,
それが風鈴の起源らしい,とのこと。

日本では,寺院のお堂や塔の四隅に厄除けの意味も込めて
掛けられていたとか。
南部鉄の南部風鈴やガラスの江戸風鈴など
今でこそ風流な音色を奏でる風鈴も,
その昔は,今とは随分違った音を生み出していたのかもしれません。

脱衣場の解説文を読みながら,
ぼんやりと古に思いを馳せるひとときでした。

賢いお土産

2013年07月05日  文責:塩原

あるレストランで食事をしたときのことです。
食事には、パンが提供されるのですが、食べられる限り何個でもOK
です。

パンのサイズが直径3cmほどと小さいので、気軽におかわりできると
同時に、いろいろな味を試すこともできます。しかもこのパンがとても
おいしいのです。

その時点で
「むむっ!?できる店。」
と思っていたのですが、極めつけが帰る際に訪れました。

「こちらは、お土産です。」
と、手渡されたのは、食事のとき提供されていたパン。
「明日のご朝食にどうぞ。」

ところが、お土産の数が人数と合いません。
どんなふうに分けましょうと、話し合っていると、店員さんが
「こちらは、女性の方へのお土産ですので、男性の方はごめんなさい。」
と説明してくれました。

確かに、お土産(特に食べ物)を歓迎するのは、女性に多い。
それに対し、男性の中には、荷物が増えてしまうことを歓迎しなかったり、
物への対処を面倒くさく感じている人を見かけます。

聞けば、お店で残ったパンをお土産にしているのだそう。
無駄もなく、お客さんの心理も読んだ戦法に、すっかり感心してしまいました。

父親と仕事場の光景

2013年07月01日  文責:川口

(ああ,うるさいなぁ…)

実家で商売をしている父と一緒に働いていたころ,
よく思ったものです。

母が怪我をしたということもあり,
実に久しぶりに実家で父の仕事を手伝いました。

断裁機で加工される紙製品を個々にゴム留めし
一定の数量で包装していくのがその日の作業。
父親が断裁を,自分がそれ以降の工程を行うのですが,
懐かしさに浸りつつも,作業勘がすぐに戻り
短時間で効率よく進められたことに,我ながら驚きました。
自分はなかなかに不器用な人間なので,
慣れってすごい,と思わずにはいられませんでした。

性格は真面目で朴訥,しかし頑固で心配性な父親とは
距離が近すぎたこともあってか,
話をしながら,幾度となく口論になっていました。
反発しては,よく姉に
「アンタも子どもやなぁ…」
とたしなめられていたものです。

今回も将来的なことなど,父親なりの助言を
(ああ,うるさいなぁ…)と聴いている自分がいて,ふと
あのころと一緒だ!
と,少しおかしくなりました。

お互い,変わらないなと思います。
いつまでたっても,父親にとって自分は頼りない子どもで,
自分にとって父は口うるさい親父,でしかないのでしょう。

そんな親父に遊んでもらっている我が息子を眺めながら,
きっとそのうち,息子から見た自分も
なにかとうるさい親父
ということになるんだろうなぁと思いました。

しかし,いまだにすぐムキになるあたり
(自分も子どもやなぁ…)
と思わずにはいられない,反省の帰路でした。