社長ブログ、笑いと涙の奮闘記

幸せを生む考え方

2010年10月29日

また人生をハッピーに生きる考え方も披露して下さいました。

例えば、みなさんなら、友達に次のような人がいたとして、その友
達にどのような声かけをしてあげますか。

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Aさんは自営業の独身男性です。ある日、交通事故を起こしてしま
い、脚の骨を折ってしまいました。そのため、1か月間入院しなけ
ればなりません。仕事はストップしてしまい、お客さんが離れていっ
てしまうかも知れません。今後の生活も不安です。

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もちろん、皆さんなら「おいお前、えらいことになったな。これから
が大変だぞ。大丈夫か?」などとは言わないことでしょう。

これは、実話だそうですが、そのとき、「お前、最高のチャンスやん。
いい看護婦さん見つけや」と励ましたそうです。

そうしたら、本当にいい看護婦さんを見つけて結婚してしまったそうです。

退院後は奥さんの協力も得て、仕事は順調に発展したそうです。

苦難も考え方ひとつで幸福に変えられるようですね。

人を笑わせる技術

2010年10月28日

先日、地元の京都銀行主催の無料セミナーがあり参加してきました。

講演者は夏川立也氏。
氏は京大工学部を卒業後、桂三枝に弟子入りし、20年間にわたり芸
人として活躍し、今はそのキャリアを生かしたコンサルをされています。

講演を聞いていて一番役に立ったことは、「芸人はどのように考えて、
人を笑わせているのか」ということです。

いろいろと話を聞いていて、その並々ならぬ苦労を知り、感動しました。

その根本のところはお話し下さいませんでしたが、ポイントは「ど
うしたらこちらに関心を持ってもらうかを考え続け、それを行動と
して意図的に実行する」ということのようです。

大切なことは、「自分から場の空気を変えていこう」とする行動を
とることで、決して受け身ではいけないということです。

平城遷都1300年(3)

2010年10月27日

イベントや展示物の中で興味深かったことは、インド、タイ、中国、
韓国などの国やその文化が紹介されていたことです。

当日はちょうどコリアンフェスティバルが開催されていて、韓国の
重要無形文化財である男寺党ノリという演技と演奏が披露されてい
ました。男寺党(ナムサダン)とは新羅時代から民衆に娯楽を提供し
てきた流浪芸人集団で、その演技や演奏はとても迫力があり、感動
しました。

特にチャンゴという太鼓による即興演奏はジャズのようにどきどき
するもので、感動しました。
写真はこちら

このように、日本の文化はいろいろな国からの影響を受けてできあ
がっているのだということを肌で感じられました。

このようなところに塾生を連れてくる企画も面白いのではと思いました。

平城遷都1300年(2)

2010年10月26日

敷地内ではいろいろなイベントをしていましたが、入場料を含め
「すべて無料」というのは、ありがたい限りでした。

古代行事としては国家儀礼として行われていた「相撲節会(すまいの
せちえ)」「射礼(じゅらい)」「騎射(うまゆみ)」「蹴鞠(けまり)」
などが披露されていました。

また沿道では天平人のこんなパレード(?)もあり、当時の人々の雰
囲気を知ることができました。
写真はこちら

平城遷都1300年(1)

2010年10月25日

中学生の頃、私は710年を「奈良唐にならって都とす」と覚えました。
2010−710=1300となりますが、奈良に都ができてからちょうど1300年
がたちます。

今年は奈良でそのお祭りをいろいろしているので、先日の休みの日
にそれらをのぞいてきました。

まず、平城京跡は地下鉄奈良駅でなく大和西大寺のそばにあったこ
とを知りビックリしました。

当時の平城宮跡はその駅から歩いて10分程です。着いてみて驚くこ
とはその広大さです。

その都の中心となる第一次大極殿は美しく復元され、堂々としたも
のでした。
写真はこちら

おもてなしの達人

2010年10月22日

先日、群馬へ帰省したときのことです。

出発が遅れたこと、車が混んでいたことが重なり、その日のうちの
実家着はあきらめることにして、長野県のあるひなびた宿に一泊す
ることにしました。

やれやれと宿に着いて、客室担当の女性に「ここまで来るのに7時
間もかかってしまったよ」と少しぐちをこぼしました。

そして、風呂に入りました。部屋に帰ってみてビックリ。テーブル
の上にこんなメモが…。
写真はこちら

これだけでこの宿を気に入り、次に帰省の機会があったらまたここ
に泊まろうと思ってしまいました。

群馬でジョギング

2010年10月21日

私は出張や旅行のたびにジョギング用具一式をカバンに入れて持っ
ていきます。そのためよくまわりの人から「なんでそんなに荷物が
一杯なの?」とあきれられます。

旅先でのジョギングは運動の楽しみと街歩きの楽しみの両方が味わ
えるのでお気に入りです。

群馬の実家のまわりには田んぼだらけで榛名山に向かってずっと上
りが続きます。コース的には上りと下りのトレーニングができるの
で好都合です。

何といっても旅先ジョギングの楽しみは珍しい風景に出くわせること。

こんな田んぼの風景にも出会えます。
写真はこちら

また、ジョギング中に小雨が降り、その後こんな風景に遭遇、あま
りの美しさに感動しました。
写真はこちら

群馬の山(2)

2010年10月20日

こちらは榛名山です。
写真はこちら

やはり火山でできた山で、中央に榛名湖という湖や、近くに富士山
のような形をした榛名富士という山があります。
冬になると、榛名湖にびっしりと氷がはり、そこに穴をあけてワカ
サギ釣りが楽しめます。
近くにスケートセンターもあって、昔はよくスケートも楽しみました。

ふもとの温泉が伊香保温泉です。石段の多い温泉町で、とても情緒
があります。

群馬は山と温泉が名物です。

群馬の山(1)

2010年10月19日

私の群馬の実家は、伊香保温泉の近くの高台の村にあります。

昔は豪族が住んでいたのか、古墳があちこちにあります。彼らにとっ
ても居心地がいい土地だったのかも知れません。丘陵地なので、リ
ンゴ、梨、ブドウなどの果物もよくとれます。

今田んぼは稲刈りが終わったばかり、これは家の近くから見た赤城山です。
写真はこちら

上毛カルタでは「裾野は広し赤城山」とうたわれていますが、どっ
しりとした姿がすてきな山で、これを見るといつも心が落ちつきます。

不沈企業への五訓

2010年10月18日

どんな企業、組織でもいとも簡単に衰退する危険性はあります。

そのような研究をまとめたのが「ビジョナリーカンパニー(3)衰退へ
の五段階」です。

私自身も企業の存続にたえず気を配っていますが、いつ衰退するか
わかりません。そこで、その本のダイジェストとなる記事を読みま
した。

それによると、衰退を起こさない秘訣は次の五つだそうです。

(1)成功を過信しないこと。たえず成功を疑い、むしろ成功を恐れること。

(2)苦しいからといって一発逆転をねらうと、それが逆に命取りになる。

(3)厳しい現実から目をそらさず、それを直視する。

(4)答えは社内にある。

(5)決してあきらめない。

あっと驚く目覚し時計の使い方(2)

2010年10月15日

その先生は、「目覚し時計をセットする時間は起きたい時間より遅
らせてかけなさい」とおっしゃいました。

その根拠は2つあります。

1つ目は、起きたい時間より遅らせて時計をセットすることにより、
「目覚し時計には頼れない」という意識が働くので、それが鳴るよ
り前に目がさめる」とのことです。

2つ目は、万一寝過ごして目覚しが鳴ってしまったとしたら、それ
は即座に起きなければならない時刻だからいやおうなく起きるとい
うことです。

私はこれを聞いて「なるほど」と感心してしまいました。以来それ
を実行していますがとてもうまくいっています。

このように、倫理法人会は、私の学びの場としてとても大切な場所です。

あっと驚く目覚し時計の使い方(1)

2010年10月14日

私がいつも参加している倫理法人会の早朝セミナーで面白い話を聞
きました。目覚し時計の時間セットの方法です。

倫理法人会では「朝に目がさめたら、二度寝などせず迷わずパッと
起きる」ということを励行しています。

週一回の勉強会も朝6時からと早いので、私は毎日4時半には起き
るようにしています。

そのため、目覚し時計を4時15分にセットしていました。しかし、
その講話者の方は、その方法はあまり良くないとおっしゃるのです。

第5回都麦元気塾サロン

2010年10月13日

10月3日(日)に上記サロンを金沢にて行いました。

参加塾は地元の石川を始めとして、大阪、京都、東京など、遠い所
からも来ていただきました。

情報交換会はみっちり3時間行い、各塾の夏期講習の結果や、来年
度の作戦に至るまで、熱心な報告や討議が続きました。

目立ったのは若い先生方が新しい視点で運営している塾がグングン
伸びていることです。それらの先生方は、最新のホームページ作成
ツール、アイフォン、その他、最新機器を使って、上手に塾のシス
テムを構築し、塾生を着実に増やしています。

つくづく日々勉強と努力あるのみだなと感じました。

鎌倉シャツ(3)

2010年10月12日

「百聞は一見に如かず」と思った私は、先日の東京出張の際、東京
駅のすぐそばにある鎌倉シャツの店を訪れてみました。

小さな店舗にシャツがサイズ順にぎっしりあり、お客さんがたくさ
んいました。

驚いたのはスタッフの方のレベルの高さです。皆ホスピタリティー
にあふれ、笑顔をたやしません。

私がスタッフの方に「これこれこういうわけで、この店を訪れた。
この会社のポリシーが気に入った」と話すと、次のような答えが返っ
てきました。

「そんなに詳しくうちの会社のことを知っていて下さり、私もとて
もうれしく思います。私もそんな会社のポリシーが大好きなので毎
日楽しく働かせてもらっています」と…。

スタッフの皆がこのような想いで働いていることを知り、とても感
動を覚えました。

鎌倉シャツ(2)

2010年10月08日

鎌倉シャツの一番の特長は、「少量生産をして、作ったものはすべ
て売り切り、バーゲンは一切しない」ということです。

一般のシャツは、大量に作り、売れ残るとバーゲンで処分するとい
う方法で流通しています。そのため、原価率も10%程度に抑えてい
るそうです。

しかし、鎌倉シャツの原価率は60%だそうですから、5千円のシャ
ツの原価は3千円にもなります。このようなシャツは使っている糸
が細いため、光沢が違うそうです。またボタンもプラスチックでな
く天然の貝のため、クリーニングに出しても割れたりしないそうです。

鎌倉シャツ(1)

2010年10月07日

皆さんは鎌倉シャツをご存知ですか。私はその会社について、ある
経営コンサルタントの方から教えていただきました。

この会社は1993年にひっそりと鎌倉のはずれにシャツ専門店として
オープンしました。

コンセプトは「驚くほど上質のシャツを4900円でワンプライスで提
供する」というものです。

鎌倉シャツと同等のシャツをデパートで買うと最低でも1万5千円
はするそうです。それほど質のいいものを、なぜ4900円で売れるの
でしょうか。

皇居一周ランニング(2)

2010年10月06日

次にランニングを楽しいものにしてくれたのが、このタイルです。
写真はこちら

皇居を一周する道路は約5〜6kmあるのですが、その道路に日本の
都道府県名とその県の花を描いたタイルがぐるりと埋めこまれてい
るのです。

そのタイルを確認し、「次はどの県かな」などと考えながら走ると、
あっという間に走り切ることができました。

あとでわかったことですが、そのタイルの位置は次の通りです。
写真はこちら

このような楽しみは、実際に走るか歩くかしてみないと味わえませ
ん。土日はランナーで一杯になるという皇居一周ランニングの魅力
がわかった感じがしました。

皇居一周ランニング(1)

2010年10月05日

9月末に東京で一泊の出張があったので、早朝に皇居一周ランニン
グを行いました。

最近はランニングがブームで、特に皇居は東京のランナーの人気ス
ポットだそうです。

走ってみてその魅力が良くわかりました。

まず景色の美しさです。このような風景を見て走れます。
写真はこちら

お堀の土手には、こんな花も咲いていました。
写真はこちら

赤い曼珠沙華はどこでも見られますが、白いのを見たのは初めてで、
とてもビックリしました。

「よーじや」の「あぶらとり紙」(2)

2010年10月04日

そしてそれが誕生する話も京都ならではです。

何と「あぶらとり紙」は、金箔を作るときに使う箔打ち紙の再利用
だったのです。金箔は、金を薄く延ばしたもので、その厚さは1万
分の1ミリメートル、1gの金が畳1枚分にもなるのです。

そのとき使われるのが箔打ち紙です。これは和紙に特殊な加工を施
した物で、金箔を作るときに大敵となる油を吸い取るはたらきをし
ます。金箔を作るときはこの箔打ち紙の間に金をはさみ、何回も何
回も延ばしていくそうです。

「よーじや」さんは、これに目をつけ商品化したとのことで、販売
を開始するや、たちまち多くの舞台や映画関係者、芸者さんたちの
間で人気になり、飛ぶように売れたとのことです。

ヒット商品の裏には面白い話があるものですね。

「よーじや」の「あぶらとり紙」(1)

2010年10月01日

「よーじや」は京都を中心に15店舗を展開する化粧品や雑貨を扱う
店で、特に「あぶらとり紙」は有名です。

なぜ「あぶらとり紙」が生まれたのでしょうか。

「よーじや」の前身は舞台化粧に使う「おしろい」などを扱う店と
して明治37年に生まれました。その後、日本ではまだめずらしかっ
た「ようじ」(現在の歯ブラシ)を扱ったことから屋号が「よーじ
や」になりました。

ではその「よーじや」で、なぜ「あぶらとり紙」が生まれたのでしょうか。

それは京都には、映画の撮影所があったことに関係があります。映
画の撮影には強いライトを使います。その光を浴びるとドーランを
塗った肌にどうしても脂が浮いてしまうのです。その脂のてかりを
抑えたいという役者さんからの強い要望から「あぶらとり紙」が生
まれたのです。